英語をどう学ぶか。

一ヶ月は早いものだ。ダブリンに慣れてきたと思ったらもう帰らなければならない。さてぼくは英語を学びにアイルランドに行ったのだが、その成果はまずまずだと思う。とくに、Speakingに関してはだいぶ進歩したような気がする。言葉は幼稚かもしれないが、自分のいいたいことをだいたい伝えられるようになった。まぁ、一ヶ月間ほとんど英語だけの生活をしていれば、いやでも伸びると思うけど。
今はこのやっと身に付いたSpeakingが退化するのが怖い。全く気にしなかったら、一ヶ月で元に戻ってしまうだろう。英会話教室はお金がかかるし、周りに英語ぺらぺらの人間もなかなか居ない。ここで一つ疑問が浮かび上がる。果たして、日本で英語の会話力は必要なのだろうか。よく考えてみたら、全くと言っていいほど英語をしゃべる機会がないと思う。勉強においても、読み書きさえ出来れば困らない。つまり、将来も日本に居続ける人にとっては、英会話を勉強する意義はあまりないのだ。では、ぼくみたいな将来英語圏への留学を考えている人はどうなのだろうか?答えは同じだと思う。今回の短期留学でよくわかったのは、日本国内で会話力をつけるのは至難の業だということだ。日本にいる限り、会話時間が絶対的に足りない。会話力をつけるには、英語圏に行くのが一番手っ取り早いと思う。結論として、ぼくは日本で英会話を勉強するのはナンセンスだと思うのだ。じゃあ、なぜ日本で英語を勉強しなければいけないのか。ぼくにとっては、いまの大学、将来の就活で必要になるからに他ならない。大学と就活で使う英語力は、ほとんど読み書きと試験だ。そこで問われるのは、語彙力と文法。文法に関しては、日本はかなり進んでいると思う。こちらのネーティブはフィーリングで文法を教えようとするが、日本はそれを定式化してしまう。各種試験対策参考書も、英語力のアップにつながるは微妙なところだけど、点数を伸ばすにはもってこいだ。
これで、ぼくの英語の方向性が見えてきたと思う。一つの試験を目標に頑張るべきだ。具体的にいうと、今年中にTOEICを少なくとも850点以上にしたいと思う。いままでずっとTOEFLを受けてきたが、近い将来必要となるのはTOEICなので、ここは潔く切り替えることが重要だと思う。
書いたからには、これから日々頑張りたいと思う。

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Belfast & Giant’s Causeway

北アイルランドと聞いて大抵の日本人はすぐさまテロを連想するだろう。Belfastは北アイルランド最大の都市であり、あのタイタニックが製造された町でもある。15年前はまだ戦場みたいなところだったが、今はもうかなり安定している。しかし、IRA(アイルランド共和軍)の本部はBelfastにあり、町の至る所にテロを美化する壁画見られる。油断は出来ない。事実上先月のダブリンで起こった暴動はIRAの仕業である。町の中心部で多くの車が焼かれ、そこらのお店も相当な打撃を受けた。
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内容は別として、なかなかうまい壁画だと思う。
Belfastはダブリンの半分ぐらいしかないのだが、何となく都市の感じがする。建物が高く、ビクトリア朝のものが多い。とくにシティホールは立派で、風に吹かれているユニオンジャックから、ここはイギリスなのだと実感させられる。ゲール語の表示が消えているのもアイルランドとの大きな違いだ。ゲール語はアイルランドの第一公用語である。しかし実際のところゲール語を流暢に操れるアイルランド人はあまりいない。学校でも教養として教えているだけである。
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Belfastのシティホール
Belfastからバスで二時間近く北上するとGiant’s Causewayに着く。世界遺産だけあって、なかなか見応えがある。火山の噴出で出来た特殊な地形なのだが、石が見事に全部六角形になっている。自然の造化だとはとても思えない。石が階段みたいになっているので、とても歩きやすい。
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St Patrick’s Day

日本の人にはなじみがないかもしれないが、St Patrick’s Dayは西洋では結構なイベントらしい。少なくとも、アイルランドでは一大イベントだ。St Patrick’s Day前後の何日間は町中がお祭り気分になるし、17日当日は祝日で、マック以外のほとんどのお店が閉まっている。
ダブリンは昼間にもかかわらず、零度前後の寒さだった。しかも時々雪が降ってくる。その様な状況でパレードを見るのはかなりつらい。オーソドックスなパレードで飽き飽きしていたら、ビキニを着たお姉さんが行進してきた。見ているだけでも寒い。
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その後は、仲間と一緒にアイリッシュダンスの会場へ。何百人もの人が一斉に踊れる大きな広場だ。ここからバカ騒ぎが始まる。誰かが持ってきた怪しいビールをみんなで飲み回して、知らない人たちと抱き合って踊り合う。さっきまで全く知らなかった人とそこまで仲良くなれるのはアイルランドならではだろう。

Galway <2>

その晩は生まれて初めてユースホステルに泊まった。本当に寝るだけのところだ。ベッドしかない。同じ部屋になぜか女の子も泊まっていた。あっちが気にしないのなら、別にこっちも気にしないが、日本ではこんなこと絶対あり得ないと思った。
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川沿いの小さな町で見つけた犬たち
朝は食い放題の食パンをおなかいっぱい食べて、Cliff of Moher & The Burrenへの旅に出る。The Burrenは山口の秋吉台みたいなところで、白い岩がむき出しになっている。お金がなかったので、鍾乳洞に入る代わりにその上の山を登ることにした。久々に体を動かしたので、かなり疲れてしまった。
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実際はもっと高いところまで登った気がする。
Cliff of Moherは本当に世界の果てという感じがする。日本で買った世界地図だと確かに世界の果てに位置する。200メートルを超える崖が、8キロメートル続く。まさに絶景だ。崖のフェンスは貧弱で、かなり危険。毎年多くの死者を出しているらしい。新しいフェンスは今年末の完成予定。
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Galwayへ <1>

ダブリンからバスに揺られて4時間、小雨が降る中僕たちはなんとかゴールウェイにたどり着いた。
天気予報は晴れのはずなのに、いっこうに雨はやむ気配がない。むしろ強くなっている気がする。天気予報を信じてしまったぼくはもちろん傘を持ってきていないし、友達の百円ショップで買ったMade in Chinaの傘は風が強すぎてまともに使えない。仕方ないので、早足で町の名所を巡ることにする。
ゴールウェイは本当に小さい町だ。地図の左側から右側まで歩くのに15分ぐらいしか掛からない。町のすべての業種(Pub以外)が独占状態にあるような気がする。ホテルも携帯ショップもカメラ屋さんも一軒しかない。これが共和国第三の都市だから呆れてしまう。町は7万人で、そのうち2万人がゴールウェイ大学の学生だ。そういう意味では、かなり元気な町だろう。
30分ぐらいで町の名所を見終わると暇なので映画を見に行くことにする。まだ時間があったので、近くのスーパーで食料と飲み物を買おうとするがお金がないので、30分も迷ったあげくいかにも安っぽいポップコーンと業務用のオレンジジュースを買う。映画のチケットを買いに並んでいるときに、その惨めさで周りの小学生に馬鹿にされた。傘もぼろぼろで、びしょぬれの東洋人は確かにあほらしい。映画は「Good night & Good luck」をみたが、開場するときは僕ら2人だけで、終始観客は一桁しか居なかったと思う。5ユーロの割には良い映画を見た。
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シーフードで有名なMcDonough’s
ホステルの管理人に勧められて、夕食はMcDonough’sで取ることにした。そこのFish and chipsは七ユーロで量もかなり満足できた。何よりも新鮮でおいしかった。アイルランドに来てから初めてうまいと思えるものを食べた。さすが100年以上歴史のある老舗だ。
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みんな意外にノリがわるい。
その後はライブをやっているという噂のKing’s Headと言うパブに直行。17世紀創業というのはすごい。お店の中は中世のお城みたいにこっていて、雰囲気もなかなか良かった。ライブは地元バンドがUKロックのコピーを中心に披露。ギネスビールを片手にMidnightまで楽しむ。

DART

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ダートはダブリン市民の第二の足だ。中心地の大抵のところはDARTで行けちゃう。かなり便利な乗り物だ。
しかし、ぼくの感覚では信じられないことがある。なんとDARTではチケットはチェックされないのだ。自分で駅の券売機で切符を買って、DARTに乗る。誰もチケットをチェックしにこないし、チケットを入れる改札も全くない。つまり、その気になればただ乗りし放題なのだ。ダブリン市民の素質には本当に感心する。日本や中国ではこんな電車は成り立たないだろう。
だが、この先はどうなるのだろうか?いま世界全体がグローバル化の波におそわれている。もちろんダブリンも例外ではない。シティセンターにはかなりのアジア系、ヒスパニック系、イスラム系の人がいる。今後もどんどん増えていくだろう。グローバル化が進むと、いわゆる土地柄というものが消えてしまうのだろうか。世界は一つになるのは良いが、少し寂しい気もする。

携帯がない生活も悪くはない。

ダブリンでの生活はもちろん東京とのではだいぶ違うが、文化の違いをのぞくと携帯が使えないのが一番でかいと思う。ダブリンでは携帯を持っていないので、もちろん誰からも電話はかかってこないし、メールも来ない。自分の時間を誰にも奪われたりはしない。東京にいるといろんな情報が携帯から手に入って、気づくともう深夜ということも少なくない。
最初は携帯がないことになれるのに少し時間がかかったが、慣れると意外にいいものだ。外でぶらぶらしていても時間を気にしなくてすむし、家に帰っても自分のやりたいことがやれる。もちろん友達と連絡を取る唯一の手段が面談になるのだが、毎日授業で会うので問題はない。
しかし、現実的に東京で一ヶ月も携帯を手放せるだろうか。やっぱり無理なのかな?

ダブリンの風景

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由緒と伝統のあるTrinity College
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ダブリンの中心を流れるRiver Liffey
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Guinness Beerはここで作られる。
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お酒がおいしいかつ伝統音楽も楽しめるTemple BarにあるThe Temple Bar
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ダブリン最大のお城―Dublin Castle
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Dublinで最も高い建築物(?)これさえ見つければ道には迷わない。
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U2が経営するDublin最高級のホテル
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Irelandが誇る庭園中の庭園―Powers Court
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Glendaloughの豊かな自然
IMG_0375.JPGFour CourtsはIreland最大の裁判所だ。

ダブリンとの初対面

ダブリンに来てもう2日目だ。だんだんこの町になれてきたような気がする。ダブリンは本当に緑が豊かで、過ごしやすい町だと思う。天気も思っていたよりはだいぶ暖かい。でも、いきなり雨や雪が降り始めるのはどうにかしてほしい。ダブリンの人々はかなり親切だ。ぼくが困っているときは、向こうから積極的に話しかけてくれる。治安も東京よりはいい。
Andreaはぼくがダブリンで出来た最初の友達。彼女はドイツ人で、ネイティブなみの英語をしゃべる。でもなぜかテストのスコアはぼくの方が上だ。彼女の彼氏(どこの国のかわいい女の子もたいてい彼氏がいる)は、ベンツにつとめていていま東京に出張中らしい。僕らは同じクラスで、同じ日にダブリンに来て同じ日にダブリンを去ることになっている。これも何かの縁だろう。この二日間二人でダブリンのいろんなところを回った。彼女の英語力には何回も助けられた。
そしてNormanは今日知り合ったペルーの友達。家の家畜を守るために、12歳の時からピストルを使って戦っていたらしい。本当に住んでいる世界が違う。彼は六ヶ月しか英語を勉強したことがないのに、すごく流ちょうな英語をしゃべる。語学の天才かもしれない。
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ホストファミリーの家はかなりでかい。
ホストファミリーは6人家族で、子供が4人いる。家族の様に接してくれるし、彼らがしゃべる英語は本当にわかりやすい。家から歩いて大学まで15分というのもうれしいところだ。ご飯も学食よりはうまい。というか単に学食がおかしいのかもしれない。5ユーロでピザ一切れしか買えなくて、しかもやたらに硬い。カップヌードルが恋しい。
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ぼくの留学先ーDublin City University

ロンドンは晴天なり。

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飛行機が予想以上に早く着いてしまったために、ヒースロー空港を散策した。
まずは車のナンバープレート。なんとアルファベットと数字の組み合わせで7から8文字だ。パスワードとしては、最適かもしれないが、何かあったときどうやって一瞬でこれを覚えるのだろうか。たぶん、イギリスの警察は記憶力が良いのだ。
あと、空港内のすべての液晶パネルがサムソン製だった。さすがと言わざるをえない。そして、壁にいっぱいのボーダフォンの広告。これでもかと言うほどだ。その中になぜかiモードの広告が混じっている。
アイルランドへの乗り換えは、英国国内と一緒の扱いだ。英国はまだアイルランドを自分たちの一部だと思っているのだろうか。ダブリン空港はロンドンをどういう風に表示しているかを見てみたい。アイルランドへの乗り換えはかなりマイナーのようで、入国検査のところには、審査官が二人座っているだけだった。ぼくを暇つぶしの材料ととらえたようで、雑談が始まる。
「何でアイルランドに来たの?」
「英語を学びに来ました。」
「他の国でもよかったんじゃないの?」
「アイルランドの音楽が大好きなんですよ。」
「どのバンド?」
「U2」
「U2は好みじゃないね。何か踊りはするの?」
といった具合だ。入国拒否されるといけないので、細心の注意を払って解答した。最終的には、通してもらったが、かなり疲れてしまった。