What we demand from scientists ?

先日、あの有名な「Winny」をつくった金子さんが有罪判決に問われてしまった(http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/12/13/14222.html)。科学者が社会が要求する倫理道徳に答え切れなかった典型的な例だと思う。しかし、僕が思うに科学者は基本的に科学に忠実にあるべきであり、その他一切は他者に任せればいいと思う。
今回の件に限らず、科学者の発明が社会に与える影響を吟味するのはとても難しい。たとえば、原子力はいい例だろう。将来的に私たちは原子力発電なしには生活できない日が訪れるかもしれないが、一歩間違えば人類絶滅である。マンハッタン計画に参加した一人、ファインマンは科学者に社会的倫理性は必要なしと言明している。その傍ら、一市民として核兵器排除には積極的に貢献している。
専門家でさせ判別しがたい、発明の社会倫理性を科学者に判断させるのはあまりにも酷である。まして、問題が起こったときその責任を科学者に取らせるのはおかしい。そもそも僕が思うに、良い発明というのは自由奔放な発想でしか生まれない。すべての枠を取り外さななければならないのである。社会倫理性など考えていたら、「ドラえもん」なんか絶対誕生しないだろう。世界的に見ても、今回の判例はレアなケースなので、優秀な人材が海外に逃げてしまう可能性も十分ありえる。
また佐藤 俊樹の「ノイマンの夢・近代の欲望」の中でも書かれているように、社会で活躍する技術は科学者ではなく、社会に決定されるのである。世の中の最も優れた科学者をかき集めても、未来における技術を予測できないのは、その正しさを端的に示している。それにもかかわらず、一方的に科学者を責めるのは、間違っているだろう。
逆に、人文系の学者は最先端の技術進歩の成果を彼らの研究に取り入れているのだろうか。つい最近まで、法人用のPCの原価償却期間は6年だったという。誰が6年前ものパソコンを使っているというのだ。あきらかに現状と乖離している。実物経済の何百倍にまで浮くれあがった、実需を伴わない金融取引を全く考慮していない経済学者も世の中にわんさかいる。彼らは、難しそうな金融工学に関わりたくないのだろう。人文系の人間が理工系の事柄を考慮していない以上、彼らに科学者の社会倫理性を問う資格はない。

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