Road to India, Nepal and Korea Part.6

朝からひどい雨だった。メインバザールが泥道から泥沼化している。リキシャでニューデリー駅まで行き、アグラー行きのインド最新鋭の列車に乗る。最新鋭といっても、日本だったらローカル線の特急レベルだ。しかし、その朝ごはんはすごかった。あさ6:15の列車なのに、ひっきりなしに食べ物が出てきる。到着寸前まで、出してくるところがすごい。
それからタクシーを捕まえて、ファテープル・スィークリーへむかう。ファテープル・スィークリーはアグラーから40キロ。その日交通事故のため、道路は大渋滞になっていたのだが、何も知らずに小回りの利くタクシーに乗った僕は幸運だったと思う。
そのおかげに、午後にはアグラーまで戻ってこれて、タージ・マハルをこの目で見ることができた。
IMG_1900.JPG
タージ・マハルはインドの観光名所の中で、僕の一番のお気に入りだ。人工的な計算されつくされた美しさには一種の怖さを感じる。何時間みても飽きない魅力がある。真っ白の大理石に寝そべると、外の騒がしさから逃れることができる。ずっと座っていると、知らない間に僕と写真を撮る人たちの行列ができてきた。なぜぼくと写真を撮りたがるのだろう。もしかしたらぼくはインドではちょっとした有名人なのかもしれない。それともインド人からみたら僕はかなりのイケメンなのかもしれない。理由はともかく5、6人の知らないインド人と写真を撮った。
アグラーあたりで、僕がインドの客引きに対する嫌悪感は頂点に達した。インドでは、常に自分に話しかけてくる人がいる。しかもその言葉はいきなり「友達(もちろん日本語で)」からはじまりそのうち「my brother」となり、最後は決まってお金を要求するか、友達か親戚かが経営しているホテルやショップに連れ込もうとする。こうような「旅先での現地の人との触れ合い・友情の芽生え」を求める観光客の気持ちを利用した手口が非常に多く、それらが実に巧みなことに驚かされる。この巧みさこそが、インドがかくも「実に疲れる国」である理由なのだ。その都度その都度、相手の発言の真意を探らねばならない。これは、愉快であると同時に、精神的に非常にハードでもある。
上の例はまだいいほうだ。僕が列車に遅れまいとがんばっているとき、何人も係員風の人が話しかけてきた。「あなたのチケットは問題があるから、あそこの旅行会社で相談しなさい」とか「今日その列車は出なくなったから、うちのホテルに泊まりない」とか。正規の係員も制服をあまり着ないので区別がつかない。このような例は挙げるに絶えない。インドでの、人を信じることの難しさ。どうしても身構えてしまう。それが、本当は純粋な触れ合いだったかもしれないある経験を、濁らせてしまう。お金・モノを与える人間関係/与えない人間関係という二つのものを、僕はことさら区別してしまう。しかし、その二つの間にはそんなに違いがあるのだろうか。そこまでして金銭が絡む人間関係を拒む必要はあるのか、と思ってしまうのだった。

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