Dali centennial retrospective

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待ちに待ったダリ回顧展に行ってきた。
先週から始まったばかりなので、人が多いと思っていたが、予想通り15分並ばさせられた。
一番の印象は、フロイトの無意識が夢の中でのイメージとそっくりということである。フロイトの入門書に直接使えるぐらいだ。また、70年代にはやった壮大なSF小説の風格もある。ダリは習慣を打ち破り、思考の赴くままに想像力を働かせるのが重要だと説いている。その結果上記のような、誰も理解できないような作品になっているのだ。
しか、それは単に理性で理解できないだけで、感性で迫ってくるものはすごい。人によってそこから感じるものは違うだろう。シュルレアリスムの急先鋒としてのダリは、作品の完成を鑑賞者に委ねたのだと思う。
意外な収穫もあった。ダリが映画に関わっているなんてぜんぜん知らなかったが、15分間の映画が上映されていた。15分でここまでひきつけられる映画は初めてみた。
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最初からいきなり女性の目がはさみで切られるという衝撃的なシーン。そのあと、男性の暴行を受けるが、胸をもんでいるとそのうち服が勝手に消えていって、最後には胸をもんでいるはずの手がなぜがお尻の上に乗っかっている。
満足できた美術展だった。

KVS seminar vol.11

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蔵前ベンチャー相談室 第11回講演会
講師:
稲葉 善治氏
1973年東工大機械卒 工学博士 
2003年からファナック㈱代表取締役社長
広瀬 茂男氏
1976年 東工大制御工学博士卒
東工大大学院教授(機械宇宙システム専攻)
稲葉さんはずっと自社のロボットのすごさを宣伝していたが、自己満足の部分が多いと思う。いま工場の現場では、コスト第一主義からスループット第一主義にシフトしつつある。しかし、ファナックの最新鋭のロボットでコストダウンはできるかもしれないが、それがどうやって利益につながるか全く見えてこない。ものづくりは確かに日本のよき伝統であり、強みでもあるが、ユーザーなきものづくりは失敗するだろう。
広瀬さんは蛇型ロボットをはじめとするユニークなロボットを研究しておられる方だ。世界的にも有名みたいだが、その成功の背後には「遊び心」があると思う。社会のためとか、人類のためとかと謳っている研究者は多いが、それではクリエイティブな発明はできないだろう。何にも囚われず、自由奔放に脳を発散させてこそ、革新的なものは生まれる。それを使うか使わないかは、社会が決めたらそれでいいじゃないか。

Road to India, Nepal and Korea Part.12

最終日は学生らしく、アカデミックにネルー大学、近代美術館と国立博物館を見に行こうとした。それが計画通りにいかないのがインドである。朝飯を食べようとうろついていたら、自称デリーの夜王の男(大学でスペイン語専攻らしい)に声をかけられ、いろいろ連れまわされた。初めてインドのインテリ女性と話せたので、結果オーライだったが、最後はやっぱりお金を要求された。
これ以上両替したくなかったので、市バスでネルー大学へ向かうことにする。この市バス、バス停に近づいても徐行になるだけ(常に徐行の気もするが)でとまらないのだ。みんな助走をつけて普通に乗っている、驚いているのは僕だけだ。こうなったらぼくもジャッキーチェンになりきってジャンプしたが、なんせ荷物を全部背負っているから、あやうく失敗しそうになった。
ネルー大学はインド有数の大学である。日本で言うと、理系寄りの京大といったところだろうか。しかしこの大学敷地が馬鹿でかい、40分歩いてやっと中心までたどり着いた。朝にチャイ(インドのお茶)しか飲んでない僕にとって、43度の中での歩行はかなりきつかった。
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最もびっくりしたのは、女の子が多いことだ。4割ぐらい入るだろう。街中とは大違いだ。しかも外の女性はみんなサリーを着ているのに、彼女たちはジーンズなどのフツウな格好をしている。彼らがインドの未来を支えていくのだろう。
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壁いっぱいに張られたポスターは、学生運動のものだ。ぼくはたまたまデリー大学とネルー大学の連合ストライキの前日に行ってしまったらしく、学内はピリピリしていて、授業はほとんどやっていなかった。日本で言うと、東大と京大がストライキするようなことだから、新聞を見ると一面で大きく記事が載っていた。学生、特に女子大生の権利の向上が目的らしい。
そのあと、最後のお金で贅沢な夕飯(1000円ぐらい)を食べ、空港へ向かう。「地球の歩き方」の載っていたバス乗り場はすべて消えていたので、リキシャで向かうことにした。インドで、確実な情報は自分の目で確かめたものだけだ。
セキュリティチェックで、洗面用具を全部没収されてしまった。僕がシャンプーでハイジャックでもするのと言うのか。
冷房の効いた待合室で、やわらかいソファーに座って飛行機を待つ。体はくたくただったが、心の奥底ではもうインドの喧騒さがちょっと恋しくなっていた。
さいごにこの旅をそれにふさわしい言葉で締めくくろう。

寒さと熱さと飢えと渇えと
風と太陽の熱と虻と蛇と
これらすべてのものにうち勝って
犀の角のようにただ独り歩め
「ブッダのことば」(スッタ・ニパータ)より

Road to India, Nepal and Korea Part.11

ポカラでのんびり数日間過ごした後、帰路に発つ。地図上から見るとポカラからデリーまで500キロぐらいしかないのだが、まるまる二日間掛かってしまった。
帰りのとき、連日降り続いていた雨は勢いを増していた。道路はただでさえガードレールがない絶壁に沿って走っているのに、雨が降ると土石流まで起きてしまう。山から大量の石と土が流れてきて、ひどいところは滝になっている。もともと広くない道路だが、これで道路の7割はふさがれてしまった。さすがのネパール人もみんな身を乗り出して心配している。マジックのような運転手のハンドルさばきで、無事乗り切ることができた。
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一晩休んだ後、さらに南へ向かう。バスで行くつもりだったが、ジープに変更。しかし、このジープがいつまでたっても出発しない。乗客が足りないらしいのだ。結局40分待って、4人乗りのジープは12人を乗せて動き出した。運転席まで乗客を乗せるのは、常識破りの発想だ。その後、ゴワプールという「地球の歩き方」にも乗っていない町で、6時間も列車を待つことに。食欲がないのと下痢のトラウマで、気が付いたら二日の間ビスケットを2パックしか食べていなかった。人間の底力はすごい。

Road to India, Nepal and Korea Part.10

よくインドから来た旅人にとって、ポカラは天国だと聞くが、自分で身をもって体験することができた。
ヒマラヤ山脈に囲まれ、フェワ湖にそって町は広がっていく。あいにく雨季だったが、それでも自然を満喫できた。山に登ると、視界はさらに広がり、世界の屋根を一望できる。
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町自体もすごい過ごしやすい。ホテルは安く部屋もインドよりずっときれいだ、しかもホットシャワーとトイレットペーパーが付いている。レストランもおいしく、ネパール料理はもちろん、チベット料理、インド、中華、日本、西洋なんでも満足の行く味だ。もっとも重要なのは、人が優しいことである。町を歩いても怪しい人に声をかけられることはまずないし、みんなニコニコしている。本当にゆったりできるところだ。
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余談だが、個人的にネパールの女の子のほうがインドよりかわいい気がする。少なくとも町で歩いている絶対数が多い。というか、インドの街中で女性を見かけることはめったにない。まるで東工大状態だ。インド人に聞いてみると驚きの解答が帰ってきた。インドの女性は、たくさん子供を生んで世話をするのが忙しいから、外に出る時間がないというのだ。インドの人口が中国を越えるのは時間の問題だろう。

Road to India, Nepal and Korea Part.9

久しぶりに早起きして、ネパール行きのバスに乗る。地元の人が利用するローカルバスだったので、覚悟はしていたが、正直かなりきつかった。
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一番の敵は熱さだった。外は照りつける太陽、気温は40度を軽く超えている。バスが走っているときはいいのだが、とまると本当にサウナ状態に入る。座っているだけなのに、5分で汗だくになってしまう。また長距離バスではないので、15分以外の休憩がなかった。一日の間、ビスケットとミネラルウォーターしか口に入れてないので、体力的にもきつかった。それに加え、道が悪い+バスがぼろいで頭が天井に当たりそうなこともしばしばあった。唯一の救いは、外のすばらしい風景だろう。
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バスに揺られて12時間、国境の町スノウリにつく。僕たちを待っていたのは、道端のアイスクリーム売り場のようなイミグレーション。陸路で国境を抜けるとき、パスポートチェックを受けるのは初体験。門をくぐるとネパールだ。
一晩休んだ後、ほかのバスに乗り換えてポカラを目指す。このたびも順風満帆ではなかった。山道を走るので、だいぶすごしやすくなったのはいいが、途中でガス欠になってしまった。
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隣の村からなんとかバケツでガソリンを調達して、一難を凌いだ。これで90分ロスする。しかしそれだけではなかった。さらにバスを走らせること1時間、前方の道路が何者かに封鎖されていた。
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周りの乗客がみんな降り始めるので、事情を聞いてみることに。
「ポカラはまだ遠いですか?」
「Yes」
「方向はこっちでいいですか?」
「Yes」
「なんで閉鎖されているんですか?」
「Yes」
「あとポカラまでどのぐらい掛かりますか?」
「Yes」
「...」
満足に英語をしゃべれるひとが一人もいなかったので、みんなについて歩くことに。徒歩で5,6キロ歩くと村が見えてきて、そこでタクシーを呼んでなんとか目的地に着くことができた。

Road to India, Nepal and Korea Part.8

病気は治っても、体力は回復していない。いままでの反省もかねて、旅のスピードを落とすことに。このあたりから時間にこだわらなくなり、日の傾きで大体の時間を判断するようになってきた。やっぱり東京が忙しすぎるのだろう。いったんインドのペースに慣れたら意外と楽なもんだ。あさ起きて近所をぶらぶらし、そのあと友達と2,3時間かけて昼ごはんを食べ、ちょっと昼寝をしてから、また散歩に出かける。こんなのも悪くない。
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バナーナスは聖地である。聖なる川ガンジーを求め、全インドから人が集まってくる。川沿いの密集住宅地は、馬車も通ることができないような道で結ばれている。そこには、牛(もちろん牛糞とその周りのハエも)、犬、子供、サドゥー(ヒンドゥーの神職者)などが存在する。最もインドらしさを感じた。
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ガンジーの岸にはたくさんのガート(沐浴場)が存在する。そこで人々は洋服を洗い、身を清め、幸福感に満ちた顔で道を引き返していく。死体焼場(マニカルニカ・ガート)にも寄ってみた。全く見知らぬ他者の死体が、ピンク・金など美しい布に包まれ花に彩られ、土の上に横たえられている。完全に燃えつくされるには、3時間掛かるらしい。
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バナーラスでは、いちばん多くの人に出会うことできた。毎晩みんなが屋上に集まり、静かに流れるガンジーを見ながら、さまざまなアクセントの英語で語り合っていた。そこにはハッパ(麻薬)などのにおいもする。何回も薦められたが、結局僕が吸うことはなかった。
またインド人の家にも招かれた。小さい本屋さんで立ち読みしていたら、店番の少年と仲良くなり、そのまま家まで連れて行ってくれた。親が政治家ということもあって、家政婦とペットがある比較的裕福な家だった。彼自身は、大学で勉強しており、MBA取得を目指してがんばっていた。いろいろ食べ物を出してもらって、楽しい時間をすごさせてもらった。この体験を通じて、僕は初めてインド人の優しさを感じることができた。今から思うと、お金にかかわる観光業以外の人は、基本的にいい人なのだろう。
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Road to India, Nepal and Korea Part.7

夜、クーラーつきの三等寝台車(バナーラス行き)にのる為に駅で待っているとインド人二人組に話しかけられた。
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二人とも職業軍人で、一ヶ月に5000円ぐらいの給料をもらっているらしい。お互い自己紹介した後、彼らの質問攻めにあう。インドでよく聞かれる質問は三つある。
1.インドは好きか?
2.彼女はいるか?
3.仏教徒か?
これでもかというぐらい、みんなこの三つの質問を聞いてくる。この二人組も例外ではなかった。僕に彼女がいないことを知ると、驚いた様子だったが、すぐに恋愛アドバイスを始めた。左側の男はかなりのやり手らしくて、彼女が何人もいるらしい。彼が説くには、お金さえあれば女は集まるそうだ。そんな調子で、立ちっぱなしで30分間会話は続いた。
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さらに列車を待っていると、明治大の学生と出会った。一時間ぐらい雑談していると、体調が微妙になってきたので、体温計をお借りして計って見る。そしたらなんと38.4℃もあるじゃないか。人間とは不思議なものだ。さっきまでぴんぴんしていたのに、熱が出ていることを知ると一気に気分が悪くなってきた。こんなときに限って列車は全く来る気配がない。
それからの二日間は旅の中で最も苦痛だった。
列車の中で、猛烈な腹痛とともに下痢が始まる。ご存知だと思うが、インド人は左手で用を済ますので、トイレにはトイレットペーパーがない。一日15回もトイレに通うようになると、これを確保するのも一大事になってくる。翌日の朝、明大生に支えられてなんとかホテルにたどり着く。この時点で体温は40℃近くになる。それから10時間ぐらい日本の薬で治そうとするが、全く効かない。しかたなく、インドのお医者さんを呼ぶことに。
インドの医学はすごい。お医者の診断は細菌性下痢。いわゆる食あたりだ。見た目がかなりあやしい4種類の薬を飲んで24時間ぐらい眠ると、下痢がぴったり止まり、熱も下がってきた。郷に入っては郷に従えということなのだろう。

BAD GUY

悪い男
アジア -韓国ドラマ
2001年韓国
監督:キム・ギドク
出演者:チョ・ジェヒョン
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【あらすじ】
ヤクザのハンギは街で見かけた女子大生・ソナに一目惚れをするが、そつのない彼女の態度に衝動的に唇を奪ってしまう。しかしハンギの行動はそれだけに留まらず…。
【感想】
後味の悪い作品だ。
救いようのない闇の中で、本能むき出しのエロスが蠢く。
しかし、その中で「愛」がタバコの明りのようにちかちか光っている。
このような内容にもかかわらず、映像自体は「美」を追求している。目を逸らしたくなる場面もあるが、基本的に純愛風の画面に仕上がっている。しかし、それはさらにソナのやり切れなさを鮮明にしている。
無言に近い映画だったが、インパクトは強かった。

Road to India, Nepal and Korea Part.6

朝からひどい雨だった。メインバザールが泥道から泥沼化している。リキシャでニューデリー駅まで行き、アグラー行きのインド最新鋭の列車に乗る。最新鋭といっても、日本だったらローカル線の特急レベルだ。しかし、その朝ごはんはすごかった。あさ6:15の列車なのに、ひっきりなしに食べ物が出てきる。到着寸前まで、出してくるところがすごい。
それからタクシーを捕まえて、ファテープル・スィークリーへむかう。ファテープル・スィークリーはアグラーから40キロ。その日交通事故のため、道路は大渋滞になっていたのだが、何も知らずに小回りの利くタクシーに乗った僕は幸運だったと思う。
そのおかげに、午後にはアグラーまで戻ってこれて、タージ・マハルをこの目で見ることができた。
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タージ・マハルはインドの観光名所の中で、僕の一番のお気に入りだ。人工的な計算されつくされた美しさには一種の怖さを感じる。何時間みても飽きない魅力がある。真っ白の大理石に寝そべると、外の騒がしさから逃れることができる。ずっと座っていると、知らない間に僕と写真を撮る人たちの行列ができてきた。なぜぼくと写真を撮りたがるのだろう。もしかしたらぼくはインドではちょっとした有名人なのかもしれない。それともインド人からみたら僕はかなりのイケメンなのかもしれない。理由はともかく5、6人の知らないインド人と写真を撮った。
アグラーあたりで、僕がインドの客引きに対する嫌悪感は頂点に達した。インドでは、常に自分に話しかけてくる人がいる。しかもその言葉はいきなり「友達(もちろん日本語で)」からはじまりそのうち「my brother」となり、最後は決まってお金を要求するか、友達か親戚かが経営しているホテルやショップに連れ込もうとする。こうような「旅先での現地の人との触れ合い・友情の芽生え」を求める観光客の気持ちを利用した手口が非常に多く、それらが実に巧みなことに驚かされる。この巧みさこそが、インドがかくも「実に疲れる国」である理由なのだ。その都度その都度、相手の発言の真意を探らねばならない。これは、愉快であると同時に、精神的に非常にハードでもある。
上の例はまだいいほうだ。僕が列車に遅れまいとがんばっているとき、何人も係員風の人が話しかけてきた。「あなたのチケットは問題があるから、あそこの旅行会社で相談しなさい」とか「今日その列車は出なくなったから、うちのホテルに泊まりない」とか。正規の係員も制服をあまり着ないので区別がつかない。このような例は挙げるに絶えない。インドでの、人を信じることの難しさ。どうしても身構えてしまう。それが、本当は純粋な触れ合いだったかもしれないある経験を、濁らせてしまう。お金・モノを与える人間関係/与えない人間関係という二つのものを、僕はことさら区別してしまう。しかし、その二つの間にはそんなに違いがあるのだろうか。そこまでして金銭が絡む人間関係を拒む必要はあるのか、と思ってしまうのだった。