新宿交響楽団&Short Shorts Film Festival

中間試験前なのに、簿記の屈辱を忘れるため半日も遊んでしまった。
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お茶の水で知り合った友達が、出ていると言うので行ってみた。プログラムをよく見てみたら、なんとパートリーダーではないか!社会人中心の楽団で、学生がリーダーになるというのはかなりすごいことだとおもう。来週あったら、ゴマでもすっておこう。
内容は管弦に詳しくないので、よく分からないが、すくなくとも素人の目から見た限り、とてもよかった。しかし、このような演奏会でもチケットはほとんど売れず、ボランティアでやっているようなものらしい。そういえば、ぼくが所属する合唱団「コールクライネス」もそんな感じだ。東京都だけで、交響楽団は300以上あり、合唱団は2000以上もある。この資源を何とか生かせないのかと強く思った。よいビジネスモデルさえ作れば、WINWINの効果が生まれると思う。
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その後、原宿へ直行。
このイベントは文字通り、10分から20分の短編映画を見るというものだ。これほど時間は限られているので、監督は必死で内容を詰め込もうとすると思ってみていたら、全然そんなことはなかった。むしろ、テーマがはっきりしない、時間を贅沢に使っている作品が多かった。個人的には、少し物足りなかった。
それはさてとし、なんで映画は2時間ぐらいだと決められているのだろう。10時間でも、30分でもいいような気がする。芸術的にそれが最適なのか、それともビジネス的にそれがやりやすいのか、それとも人間の集中力の限界なのか。そういえば、音楽も4,5分のものが多い。最近はCDという媒体の制限がなくなった以上、もっと長い曲を作ってもいいのではないかと個人的に思っている。

工場見学 & シンドラー

小雨中、学校の授業の一環で本田の工場見学をすることになった。工場見学するのは一向に構わないのだが、往復の交通費が1000円近くになってしまったのが残念だ。しかしこのことを口出して、単位来なくなるともっと残念なので、この不満を心の中にひそめることにした。
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まず、工場の外見なのだが、トヨタとマツダの中間といったところだろうか。やっぱり外見は、業績に比例しているらしい。
工場に入ると、大きな会議室に招かれ、コーヒーとその他もろもろをいただいた。眠気を誘うビデオを15分間ぐらい見た後(眠っていたのでもっと長かったかもしれない)、HONDAの帽子を頭にかぶり、工場内へ。
いちばん真っ先に感じたのは、工場の中での人間の無力さだ。あの工場の中で圧倒的に力があるのは機械であり、大部分の体積を占めているのも彼らである。人間は小さい存在であり、むしろ彼らの歯車みたいに映る。しかしあれらの工作機械を開発し、製造したのもほかならぬ人間のはずだ。SFではないが、いつの日か人間が機械に征服される日を彷彿させる光景だった。
毎回工場見学感動させられるのが、各種機械の動きだ。全く無駄な動きがなく、一寸の狂いもないその動作は神業と言えよう。とくに溶接などの場面では、まるですべての機械がひとつの感情のある心によって動かされている気さえする。IE(インダストリアル・エンジニアリング)の主なる目的は、作業の効率化だが、機械はその究極的実現だと思う。人間では絶対できないさまざまな作業を難なくこなし、サモンチャートなどで分析してもほとんど無駄がない動きをしている。しかし、逆から考えると、IEは作業員の人間性を無視した分析方法ともいえると思うのだ。作業を極限まで分解し、その一つ一つを短縮しようとする試みは、人間の心と言うものを捕らえていない。確かに生産性はあがるかもしれないが、あがったところで機械を超えることはできない。だが、それで人間独自の創造性が失われる可能性は十分あるのだ。
あと、意外と若手の作業員が多かった。団塊世代の退職も関係していると思うが、それでもこれで大丈夫かというぐらい若者が多かった。正直いって、このような作業環境では、働きたくない。人間間の交流が乏しいし、騒音も相当だ。彼らの条件を少しでも改善してあげたい。
しかし、発展途上国においての現状はもっとひどいだろう。実際、工場の方が言ってたように、発展途上国にはいまだに手で押すベルトコンベヤーが存在するらしい。そこでは、機械の替わりに人間が汗を流している。なのに、生産性は日本の10%以下だ。だから賃金も日本と比べたら桁はずれに低い。そのような方にIEを適用し、できるだけ生産性を高めるのはかわいそうでならない。
これからは余談になるのだが、工場見学の後、友達と新宿で買い物をした。話題が盛り上がり、シンドラー社のエレベーターの話になった。死んだ人はかわいそうだなぁとおもって、ふと上を見上げていると、「シンドラーエレベーター」という文字が目に入った。そう、乗っていたエレベーターがシンドラー社のものだったのだ。日本に1%しかない、シンドラー社のエレベーターに乗ってしまったのだ。ちなみに、帰りは階段で帰った。
日本のメディアはいつもそうなのだが、ひとつの会社が不祥事を起こすと、その会社関連の不祥事(普段だと報道されていない)が報道されるようになる。しかし、この流れはその業界全体までにはなかなか広がらない(実際似たような不具合は全日本で2000件以上発見されているが)。三菱自動車のときもそうだったが、結局はもっとも派手な不祥事を最初に起こした企業がいちばん打撃を受けるのだ。その企業の不祥事はいちばん悪質かどうか関係なしに。
これからは、生産性の追求もいいが、品質管理についても学びたい。

単純と複雑

最近「国家の品格」という本が売れている。あまりにも売れているので、借りて読んでみた。感想を一言でいうと、「わが闘争の論理を省いた日本版」といったところだろうか。
はっきり言って、こんな本は好きではない。まず、内容が異常に偏っている。それならまだいい。問題はその内容を論理付ける、理論が全くないのだ。ヒットラーの「わが闘争」の結論はともかくとして、論理自体は非常に納得できるところが多々ある。しかし、「国家の品格」(藤原 正彦 著)はみずから論理を否定し、著者の思いつきで論理を展開しているのだ。
よく考えてみると最近この類の本がよく売れている。たとえば、「下流社会」とか「バカの壁」とか。何もかも言い切ってくれるのは、読む側としてはそれについていくだけでよいので、非常に楽だ。しかし、本当にそれでいいのだろうか。
現実の世界を見てみよ。これより複雑なものはないだろう。白か黒か割り切れるものではないと思う。そのような世界に対し、異常に単純化された理論で立ち向かっても、弾き飛ばされるだけだろう。なのに、このような本を平気で出版している著者は非常に無責任だと思う。だが、日本では言論自由なので、読者にも責任があるだろう。いずれにせよ、こんな本がベストセラーになるのはおかしい。藤原 正彦はほかに「若き数学者のアメリカ」のようなすばらしい本があるのになぜそれは売れないのだろうか。
ヒットラーのこの言葉が思い浮かぶ「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は宣伝が目指すべきものの中で、最低級のものが分かる程度に調整すべきである。」
この世界は確かに、われわれの技術を持ってでもいろいろ分からないことがある。しかし、それから逃げて簡単に結論を付けるのはいけないと思う。
ぼくの専門の経営工学は、すべてのものを工学で定量的に分析するという学問だ。普通の数学はこの曖昧な世界に応用できないで、確率とか離散数学とかを使うみたいだ。
世界はいろいろと分からないことがあるから面白いのだと思う。これからも、自分の頭で考えて前に歩みたい。

バックパッカーへの道

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知っている人は知っていると思うが、今年の夏ぼくはインドとネパールへの旅に行く。そのために今日は二週間の旅行に耐えれるぐらいの大きなバックを買った。
以前ものを買うとき、基本的に機能にしか目が行っていなかったが、最近はデザインにこだわるようになってきた。今回選んだミレーのバッグも、もちろん性能的にも定評はあるのだが、シンプルで上品な色使いには一目ぼれしてしまった。
バックパッカーというと、一般的には世を捨てた放浪者のイメージがあるかもしれない。しかし、旅の偶発的な事件を好意的に楽しみ、自分の力で前に突き進む姿は美しいと思う。旅の中で人生の凝縮されたエキスを体験できるかもしれない。
沢木さんではないが、東京からヒマラヤへの長距離バスに乗るつもりで、旅を楽しもう。

「アフリカ・リミックス」展 & ダ・ヴィンチ・コード展

久々に森美術館に行った。この美術館はかなり面白いイベントをいろいろやっているのだが、もうちょっと更新の頻度を上げてほしい。
まずは、「アフリカ・リミックス」展
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いままで、きちんとアフリカの芸術に触れたことがないことに、今日気がついた。
アフリカの芸術は、ぼくが考えているより、かなり現代的でクリエイティブだった。しかし裏を返せば、西洋の影響を受けすぎていて、アフリカ独自の色合いが褪せているのかもしれない。
特徴として、大胆に赤、黄色などの原色を使っていることがあげられる。人を元気にさせてくれる作品がいっぱいだ。
次は、ダ・ヴィンチ・コード展。
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こちらは最新のデジタル技術を駆使した美術展である。
最もびっくりしたのが、モニターをタッチすることにより、絵を自分の好きなように3倍まで拡大できることだ。液晶モニターならではだ。
一方、勝手に絵の重要な部分を拡大して、どんどん解説していくスタイルはあまり気に入らなかった。自分で鑑賞する楽しみを奪ってしまった気がしてならないのだ。
でも、せっかく美術館に行ったのだから、本物の絵をみたいのはぼくだけだろうか。こういうバーチャルな展覧会は、ネットに限定したほうがいいと思う。