「ヴェネツィア―水の迷宮の夢 」と「大理石」からみる ヨシフ・ブロツキー

要約:
「大理石」
時代設定は23世紀。ププリウスとトゥリウスという二人の人間が高さ一キロメートルもある監獄(塔)の中に閉じ込められている。しかも二人だけでだ。だがこの二人は特に何かの罪を犯したわけではない、単に「社会」のために刑に服しているのだ。その国では、理論的にひとつの国のなかの囚人の数は、人口の3パーセントがもっとも望ましいとされている。故に、その国では犯罪したか否かにかかわらず、国の3パーセントの人間をコンピュータで無作為に選んで監獄にいれているのだ。さすがにそれはかわいそうということで、囚人はどんなものでもただで手に入り、ご飯も一流のシェフが絶対あきさせないように作ってくれるような環境で暮らしている。
そんな監獄の中でププリウスとトゥリウスは一生を過ごすことになる。トゥリウスは自称ローマ人で、ププリウスを野蛮人と呼ぶ。トゥリウスは、何事の本質も時間で、トゥリウスが行っている行為(われわれも日常的に行っている行為)は野蛮だというのだ。そして二人は時間をキーワードにさまざまな議論を行う。
「ヴェネツィア―水の迷宮の夢 」
無理やり要約すると、ヴェネツィアにまつわるエピソードとしか言いようがない。ブロツキーの言葉を借りると「これから書くことは、けっきょく物語なんていうものではなく、間違った季節のにごった水の流れみたいなものになるかもしれない。時にそれは青く見え、時に灰色にも茶色にも見える。しかし常に冷たいし、とても飲めた代物ではない。」のような感じなのだ。
意見:
ヴェネツィアをはじめて読み終えたとき、はっきりいって微妙な感じだった。文章は申し分なく美しく、芸術的である、しかし自分はそれをどれほど理解できたかは非常に疑問である。この本は絶対読めば読むほど意味が深まるのである。そして、ぼくにはこの本の真の深みを知る余地がまったくなかった。だが、僕はこの本が好きになった。真っ先に本棚の一番見えやすいところにおいたのだ。表紙はもちろん神秘的でいい感じになっているし、なんとなくこの本を持っていると知的であると感じたからだ。


この本のなにが、ぼくをここまで引き付けたのだろうか?それはこの本の独特な手法だと思う。まず一つ目として、論理的帰結のない、私たちに向かって開かれた構造があると思う。この本をはじめて手に取ったとき、非常に読みやすい本だと思った。文脈ははっきりしているし、現代的な日本語であるし、難解な哲学用語もないのだから。しかし僕は間違っていた。本の各部分を取り出してみると確かにそれはそれで分かりやすいのだが、その部分間の連結がまったくないのである。つまり、この本が全体としてなにを言いたいのかが、僕にはまったく分からなかった。一方でこんな考えも浮かんできたー「無理に各部分の文脈をたどらなくてもいいのではないか?」。本当にヴェネツィアの水路の流れを沿うように、ブロツキーに身を任せるのもいい考えかもしれないのである。実際ヴェネツィアの町は迷路のようで、始めてそこに行く人は必ずといっていいほど道に迷うそうなのだ。そしたら、ブロツキーの複雑に隠喩が絡み合った文章で方向感を失うのも魅力的かもしれない。むしろ、読者の想像の幅を広げてくれたといっていいだろう。
第二にブロツキーは、この本のなかで擬人法をはじめとした、大量のメタファーを使用している。彼は、彼の目の中に映るものすべてに対して、自分のフィルターを通じて比喩しているといっても過言ではない。ほぼすべてのパラグラフにおいて、何らかのメタファーが使われている。しかもそのメタファーはあまりにも斬新で、刺激的であり、凡人では絶対思いつかないものばかりである。いくつかの例を通じて紹介しましょう。
「ホテルの鏡は、もともと無生物であるうえに、あまりにも多くのものを見てきたせいか、いっそうぼんやりと曇っている。それがきみに返してくれるのはきみ自身の姿ではなくて、むしろきみの匿名性、とくにこの町での匿名性だ。」
「冬の朝、特に日曜日の朝、数え切れないほどの鐘の音で目をさます。まるで紗のカーテンの裏側で、パールグレーの空を背景にして、とてつもなく大きな陶器のティーセットが、銀の盆の上でこきざみに震えているみたいなのだ。」
「夢というのは閉じられた目の忠誠なのだから。」
これでお分かりのように、ブロツキーの比喩は単に斬新なだけではなく、物事の核心を突いているのである。旅先のホテルの鏡から、旅人の心情を読む;鐘の音を、想像を絶するティーセットの振動に置き換える。これらのセンテンスはひとつひとつが、詩として使えるぐらいのクオリティがあると思う。
このようなブロツキーのメタファーを実存主義的に見てみたいと思う。実存主義では、実存は本質に先立つと考える。ニーチェは「現実それ自体というものはない、ただ解釈があるだけだ。」と説いている。つまり、世の中の物事は人間の考え方によっては、どうにでもなるという考え方だ。そして、サルトルは「私たちは、世界とのかかわりを自ら決定する自由がある」と言い放った。ぼくが考えるには、ブロツキーはこの自由の権利を最大限に行使したのではないだろうか?世の中のものをその客観事実で見るのではなく、自分の頭の中で自分とのかかわりを持つことにより、あれほどクリエーティブな比喩ができるのだと僕は思うのだ。ブロツキーの「大理石」でも、実存主義を使って分析していきたい。
物事とよりかかわりを持つためには、よりよく観察しなければならない。そこで、キーワードになるのが「目」である。この作品において、目に関する文章が数多く出てきた。その一部を見てみたいと思う。
「ぼくは道徳的な人間ではない(それでもいつも良心の平衡は保ちたいとねがっているのだが)、賢人でもない。審美主義者でもなければ、哲学者でもない。一口で言えば神経質な人間に過ぎない。(中略)これから書き進めていくことは、信念―文章の叙述法についての信念の含めて―ではなく、目に関係する。目はペンより先に進む。そしてペンが自分の進行を誤魔化すのをぼくは認めない。」―①
「目にするものを映し出す水という媒体に目が見出すのは、目そのものに他ならない。」
「何に目を留めるかによってその人の人格が決まってくる―少なくとも部分的にはそうだ。」
「この町を訪ねると目は涙に似て、自らを律するようになる。唯一の違いは、涙のようにたらだから離れて流れ落ちたりせずに、目は、体そのものまですっかり支配するということだ。(中略)体はもうなにか目を運ぶためだけに存在するもののように思えてくる。」
「ぼくたちの体の中で、それだけで独立しうる器官があるとすれば、一番それがやり易いのは「目」だと思う。」-②
ブロツキーにとって、目は外部の世界と交流するためのもっとも重要な器官であるようだ。特に、ヴェネツィアにおいてである。さらに①で、彼は、自分の考え、文章を目に任せると書いてある。つまり見たものをそのまま書くのだ。そうすることで、自分の本能―最も本来的な一面を見せることができるのである。つまり今自分が感じていることをありのままに書き出すことができるのだ。また②でも、彼は目が単独で独立しうると書いてある。このような、目に対する異常な注目は彼の作品の風格に直接影響している。あの船に乗っている場面以外で、視覚以外の感覚はまったくといっていいほど出てこないのである。
次に、彼が幸福に書いている部分も非常に興味深い。
「幸福というのは、自分が内部に持っている何かが自由に宙をただ取っているのを見つけた瞬間に生まれる感情ではないだろうか。(中略)そしてぼくは冷たい空気の中で、まるで自分の画像そのものの中に踏み込んだように感じた。」
ここで、かなり自己が強調されている。ここでの幸福は、それが本当に幸福であるかどうかよりも、自分にとって幸福であるかの方が重要である。極端にいうと、他の人がいやがるものでも、自分はそれに幸福を感じるかもしれないのである。そして、その感じた幸福はその物事よりも自分の脳裡の映像との関係性が強いのだ。こういった考え方は、現象学に非常に近いと思う。
また、神についても彼独自の主張が述べられている。
「全能の神が存在するという最も確かな証拠は、ぼくらが自分の死の時をあらかじめ知らないということではなかろうか。つまり、もしも生が全く人間だけのものだとすれば、生まれたときには、ふつう捕虜収容所や刑務所などで行われているように、たとえば刑期とか、判決とかによって、その存命期間を正確に予告されるはずではないか、しかしそんなことが起こらないのは、人間の生を支配しているのは、人間だけではなくて、ぼくらの考えをこえるもの、人以外の力が介在するからである。」
これを見たときぼくは本当に納得してしまった。神に関する問題は長い間ぼくを困惑し続けたが、これほど明確かつ簡潔な解答を見たのは始めてだった。僕らは自分のいろいろなことにたいして、決定権を持っていない。例えば、自分の性別、誕生日、身長、死などなど。それは必ず何かに決められているので、そこに一つの未知数を導入したらどうなのだろうか。その未知数が、「神」なのではないだろうか。このような自然な流れは、今までぼくの頭の中で考えていたぼんやりなイメージを一気に明確にした。また彼は作品の後ろの方で、「時が神である。」とも言っている。それは、すべての物事は時の中で流れているのであり、すべて時に決定される、だから時間こそが神であるという考え方だと思う。ぼくの今までの考え方は、この世界にあるものすべての総和そのものが神である、というものだった。しかし、この世界にあるものすべての総和は「時」という漢字一文字に集約されるのではないかと思うようになった。
「ヴェネツィア」とは対照的に「大理石」の方は読者に明確なメッセージを送っていると思う。一つは、「時間」。二個目は、人間の「本来性」と「非本来性」である。
主人公たちは「時間」に関して、非常に面白い会話をしている。
「ププリウス:この世のすべては、その前にあったことと、その後の生ずることによって決まるんですから。前と後がなかったら、事件は事件じゃなくなってしまう。
 トゥリウス:事件じゃなかったら、何なんだろう?
 ププリウス:そんなことぼくが知ってる訳ないでしょう!期待とか。「前」という状態。それとも引き延ばされた「後」の状態。
 (中略)
 トゥリウス:時間のことじゃないか。純粋な時間そのもの。時間の断片だ。一部分とはいえやっぱり時間なんだ。原因も結果も持っていないもの。」
この状態はまさにこの塔なのである。この塔の部屋の中ではこのふたリは自由だが、外部に対しては全く影響が及ぼせない。外部にでるのはもちろん、面会ですら許されていない。彼らが外部に影響を与える唯一の手段は、自分の排泄物と精液である。一方で、外部も彼らに影響を及ぼせない。彼らはコンピュータによってコントロールされていて、分厚いマニュアルがあり、その通りに動く。なんと240年先の料理まで決められているのだ。ということは、この二人は世界から完全に独立している。彼らの行いはこの世にいかなる結果ももたらさない、結果がない行為に対して彼らはそれをする理由をなくすのである。彼らの行動は、事件ではなく、まさしく時間そのものー時間の断片である。この塔の中では、彼らが時間を所有し、時間も彼らを所有している。時間と彼らの間にはなにもない。そして、トゥリウス(ローマ人)はこれをもっとも高尚で、もっとも人間の本来的な状態だというのだ。これこそ、形而上学な人間である。一方、この塔の外の世界にいる人たちは、野蛮人であり、世人である。それらの人々は、その行為に意味があるため、人間の非本来的な一面しか表現できないのだ。そして、この塔の中から逃げると言うことは、時間から歴史に逃げ込むこと、つまり堕落を意味するのである。これにまさる対比は存在するのだろうか?
しかし、ブロツキーはこれでも満足しない。彼はまたこの塔の中に対比関係を作る。トゥリウス(ローマ人)でもって人間の本来性を表し、ププリウスで人間の非本来性を表しているのである。そして、二人はいつもけんかしその中でさらに対比は強烈になる。さらに彼らの言葉遣いにも注目したいと思う。
「ガリグラのやつにいたっては、自分の馬が雄弁を振る舞うところを聞いてたら、湯気の立つような小便を流して喜ぶだろうさ。」
「トゥリウス:生きることってどういうことかね?
 ププリウス:そりゃ、明かりをぱっと消して、女を押し倒すってことですよ。これこそ生きることだ。」
このような日常的な衣食住に関わる具体的で、時には極端に卑俗な語彙と哲学的な思考を支える高度に抽象的な語彙が、同居しているなんてふつうの作品では絶対考えられないと思う。この両極端を行き来することに、ブロツキーの本領が発揮されているのである。
それ以外に、この本は非常に面白い設定がある。主人公たちは、法務官に頼めば、どんなに高価なものでも一瞬にして取り寄せることができる。しかも無制限にだ。気に入らなくなったら、ダストシュートに放り込めばいい。この二人は一時期なんと銅像だけで、26個も所有していたのである。このことを実存主義的にみると、「遠ざかりの略奪」と「方向の切り開き」が極限にまで抑えられている状態だと考えることができると思う。もう一歩踏みこんで考えると、それらの物は、彼らの一部分あるいは一つの器官として理解することができるのではないだろうか。こう考えると、彼らが住んでいる世界そのものが彼らであり、彼らは自分たちの神といえると思うのだ。この結論は、彼らが時であり、そして神であることとも一致している。そこでかれらなりの人生に対する定義が登場する。
「二重露光だ!録画したテープとテープを重ね合わせているのか、あるいは録画と生中継を重ねているのか。まさにそれが人生じゃないか。」
この事実は、一般的な世の中でも成り立つような気がするのだが、この作品の中ではぴったりという感じである。彼らは、かなり拘束されている囚人である。一方で彼らにも様々な権利があり自由である。基本的には録画されているのだが、ある程度はランダムに毎回変わるといった感じだろうか。それとも、足が縛られている踊り子だろうか。どれにしても、この対比もなかなか面白い。
この大理石は、諸外国では実際上映されているらしいので、一度是非見てみたいと思う。もちろん、できればヴェネツィアにもいってみたい。一言で言えば、ブロツキーは私たちに濾過された純粋な世界を見せてくれたと思う。そこで、私たちは想像力を使って自分の思うようにその世界を解釈するのが、ブロツキー的な楽しみ方だとぼくは考えるのだ。

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