過去の末裔

「心の中に未来にふさわしい像を描け。そして、自分は過去の末裔であるという迷信を忘れよ。あの未来の生を思いめぐらすならば、工夫し、発明すべきものが限りなくあるのだ」
過去の末裔であるという迷信を忘れよ!なんと言う力強い言葉なのでしょう。現在に生きる人々は過去の末裔ではなく、単なる現在の住人なのだ。故に、私たちは過去のことなど気にせずに、未来に向けて歩めばよいのだ。約130年前にニーチェはこの言葉を放った。
しかし、この言葉は二面性がある。善良な人たちにとっては、過去に縛られず未来に目を向けるいいチャンスだが、ナチスなどに利用されたつらい経験もある。極端なことをいうと、現在という時間も刻々と過去になっているのだから、今現在何をやってもいいのである。ニーチェの中で、神が死んだ以上だれも善の道に進む保証はないのだ。

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拉致、残留孤児そして日系ブラジル

先日、新華社通信の東京特派員と食事する機会があって、中国にいる日本の残留孤児の話題になった。彼曰く、日本政府が残留孤児問題をまったく重視してなく、残留孤児の日本での生活は悲惨である。残留孤児という人たちは、第二次世界大戦の終了後日本人が本土に引き上げる際に、さまざまな理由で日本に帰れなかった子供たちである。彼らの親は、主に経済的な理由で彼らを中国人に預けた。そして今彼らは60,70歳となり、日本に帰ろうとしている。その数はおよそ一万人を言われている。
彼らはもうほとんど日本語がしゃべれないので、日本での生活が大変というのは理解できるのだが、日本政府が彼らに対する手当てが無いに等しいらしいのだ。一方で、拉致被害者のほうは政府が大金をかけて、国全体を上げて支援している。同じに日本人なのにこの差は何なのだ。残留孤児と同じく日系ブラジル人も、日本に帰ることも困難だし、日本での生活も社会の最低クラスにある。
もともと、満州開拓団とかブラジルに移民にした人たちは、当時の日本でも最も貧しい人たちで、政府の政策で派遣されたのである。その人たちに拉致被害者並とは言わないが、もう少し援助を与えてもいいのではないだろうか?

耐震強度偽装問題

近頃世の中を騒がしている耐震強度偽装問題だが、僕に言わせたら贅沢な話である。なんせ僕が住んでいる建物は築40年で、しかも震度5で一階が潰れる可能性が非常に高いと診断されているのだ。本当に危ないので、来年に立て壊すことになっている。自分に保険をかけたいぐらいだ。そんなに危ないのなら僕が住む前にちゃんと説明してもらいたい。
ところで日本は地震が多いことで有名だ。僕が昔住んでいた中国の青島はめったに地震が起こらない、正確にいうと町ができて以来まともな地震が発生したことがないのだ。日本人からすると笑い話かもしれないが、震度3の地震が起きたとき地方紙の第一面は地震のニュースで埋め尽くされていて、学校ではこれでもかというぐらい避難訓練をした(授業が減った分よかったが)。いつも思うのだが、中国のどこかの大都市で大地震が起こったらどのぐらいの被害になるのだろう。どこかの建物が耐震工事をやったという話は一度も聞いたことがないのだが…

教えることと知っていること

人間はあることに精通していても、それをうまく相手に教えられるかどうかというと微妙です。その端的な例は語学ではないのでしょうか?ぼくは今新宿で中国語を教えています。11月27日の中国語検定に向けて、生徒さんが猛勉強を始めています。それに比例して、ぼくが聞かれる中国語の問題も増えてきます。その中にはあっさり答えられるものもありますし、答えられなくて気まずい思いをするものもあります。これを聞いた人はネイティブスピーカーなのに何で知らないのだと聞くかもしれませんが、日本語を例に挙げてみましょう。たとえば、「アイルランドの首相が東京にきた。」と「アイルランドの首相が東京にきた。」の違いはなんなのでしょうか?「いいです」がどういうことに「Good!」を意味し、どういうときに「No, thanks.」を意味するのでしょうか?また「ライス」と「ご飯」の意味の違いは?このような問題は教える方のレベルの向上により解決する問題もありますが、たいていの問題は本当に説明しにくいです。
ぼくはこのような問題は自分が実践の中で徐々に習得していくしかないと考えています。「は」と「が」の使い方の違いを教えるのはナンセンスであり、使っているうちに徐々にわかってくるものです。だからぼくは聞いてくる人に具体例を出すようにお願いします。その一つ一つの状況の中でこそ、その言葉の簿妙なニュアンスが読み取れるのです。

全日本合唱コンクール

コンクール会場
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東京工業大学混声合唱団コールクライネスの一員として新潟で行われた全日本合唱コンクールに参加してきました。結果は予想通り金賞。おまけに特別賞とシード権を獲得しました。
こうあっさり流してしまうとたいしたことじゃないように聞こえますが、全国5000を超える団体の中での金賞なので、実は結構すごいことなのです。しかし僕の実力をいうと、お世辞にもうまいといえないと思います。合唱を始めてまだ半年あまり、しかもそんなにまじめな団員ではありません。では、なぜぼくの団は金賞を取ることができたのでしょうか?やはり人数が多いからではないだろうか。140人の出場人数は他の平均の二倍は超えています。しかし、歌がうまいのは一部で、その一部だけでうまく聞こえているのだと思います。いくら合唱が団体競技とはいえ、これは不平等だと思います。ぼくみたいな人間が苦労しなくて全国で金賞を取っている一方、歌がうまい人は単に団の人数が少ないとか、団のレベルが低いとかの理由の全国大会すらでられないのです。
と言いつつ、全国で賞を取るのはやはりうれしいことですね。

サルトル

「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうをしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、……希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これを作り出さなければね」ーサルトル「いま、希望とは」より
これは、知の巨人サルトルが死ぬ寸前に残した言葉である。。現代社会で生きている私たちの心にも十分響く内容だ。サルトルは一生この希望を作ることに人生を費やしてきた、しかし結果はどうだろうか?彼がやったことの中には、お世辞にも正しいといいがたいこともある。やって成功したものでも、世界単位で見ると影響はそんなに大きくないとおもう。サルトルでさえこの悲惨な世界を救えないのなら、僕らに何ができるのだろうか?しかしサルトルは希望はまだあるといった。
その希望はいったいどこにあるのか?
もしこの世界を救うのは無理だとしても、少しでも理想に近づけるのが私たちの使命なのではないのだろうか?僕は希望をこう捉えた。

Mercedes BenzのMixed Tape

今回紹介したいのは、あのメルセデス・ベンツ社が作っている音楽である。
センスが抜群によくて、192kbpsのMP3で、しかもただである。これはもうダウンロードするしかない!!各ジャンルがバランスよく入っていて、CDとして販売してもまったく問題ないと思う。しかし、なぜメルセデス・ベンツ社がこんなことをやっているのだろうか?単なる太っ腹か?それとも流行のメセナか?
これらの音楽はベンツに乗って聴くと、さらに心地よいのだろう。残念ながら僕は山手線の満員電車の中で聴くことになるのだが…

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山手線

月曜朝は憂鬱だ。
毎朝満員に揺られて学校に行くのだが、月曜は特に混雑している。満員電車は女性にとっては痴漢の被害にあう可能性があるのでいやかもしれないが、僕にとっても痴漢と間違われたくないので一苦労だ(まだおっさんにはさまれるよりは良いが)。今日の朝もいつもの通り高田馬場につくと、内回りの電車がホームに止まっていた、しかもやたらとすいている。しめたと思って、人生二度目にして通勤ラッシュの山手線の席に座った。ちなみに一回目は、脱線事故直後の一両目に乗ったときである。しかし、その幸福もつかの間、実は山手線内回りは事故で運転見合わせだったらしい。結局僕は、外回りで池袋に行って、埼京線で新宿(これほど込んでる電車に乗ったことはない)、湘南新宿ラインで渋谷、東横線で自由が丘、最後に大井町線でやっと大岡山についたのだ。
これで東京の交通システムがいかに脆弱なものかがよく分かった。山手線内回りがとまっただけで、東京の鉄道各線がすべてパニックになったのだ。もし、山手線が一週間不通になったら、東京は滅びるのではないかと思うほどだ。電車に過度に依存する交通システムの弱みが見えた。
しかし問題はこれだけではない。もしテロリスト二人組が山手線に乗り込んできて、一人が人身事故と見せかけて電車を止めて、もう一人が30分後に混んでいるホームで自爆したら、どうなるのだろうか?想像もしたくない。現状では防御不可能なのではないだろうか?
と言いつつ、明日の朝も山手線に乗らないといけない僕です。

僕は本当に僕なのか?

今の僕と10年前の僕ははたして同一人物だろうか?
社会の常識からすると同じ人なのだろう。では、もし僕が腕を入れ替えていたらどうだろうか?まだ同一人物といえると思う。それでは、脳の移植後の僕はどうだろうか?意見の分かれるところだと思う。しかし、現実的に人間という生物の細胞は二年に一度全部入れ替わる。5回もまるまる入れ替えた僕がまだ僕なのだろうか?もちろん、遺伝子は変わっていないので同一人物だと主張する人もいるだろう。では記憶喪失とか脳死した僕はどうなるのだろうか?確かに遺伝子は変わっていないが、自分は誰なのかすら知らない人間である。
もしかしたら、10年前僕はハードゲイだったかもしれない….